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家康、石田三成を助ける/関ヶ原前夜

(2015年10月25日)

今日の話は以上です。お疲れ様。(待て)
解体屋のおじさんです、こんにちは。

そして今日は関ヶ原前夜を書こうと思いますが、そこで狐と狸の化かしあいが有りました。
それが関ヶ原前夜の石田三成襲撃事件。七将の下にある石田三成襲撃事件をご参考にしてください。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/七将#.E7.9F.B3.E7.94.B0.E4.B8.89.E6.88.90.E8.A5.B2.E6.92.83.E4.BA.8B.E4.BB.B6

豊臣政権下で武断派と統治派で対立があったわけですが、前田利家死後の後表面化したわけですよ。
そして三成を殺そうと七将が大阪で兵をあげたのですが、三成はなんと、徳川家康がいる伏見城に逃げ込んだ、と。
そして天下を狙っている家康も、いまこの時点で三成を殺させるわけにはいかないからと、引退を条件に七将に兵を引かせた。

三成には護衛に自分の息子まで着けるという厚遇で。

家康はこの対立をボヤじゃなくて大火事にしたいんですよ。三成も同様で大火事にして家康を排除したい。

両者の利害が一致という、狸と狐の化かしあいの本領発揮。怖いわ(^◇^;)

なんで俺が護佐丸を忠臣と呼んでいるかは、この化かしあいを知っていたからです。
家康の位置にいたからね、護佐丸は。

ま、ただ、琉球王国の三山統一は応仁の乱以前だから無理とは解っているけども。

ちなみに、この七将は関ヶ原では東軍について戦っております。
武断派は三成憎しのあまり、家康側についてしまった。

豊臣秀頼、執権石田三成、という事態は意地でも避けたかったのでしょう。

そして、家康は上杉景勝挙兵とのことで兵を挙げて上杉討伐、その間に秀頼と毛利輝元を総大将とした石田三成も挙兵、これにより関ヶ原の陣営は整えられました。

結果はみなさん、ご存知の通り。

さて、今日はこれにて終了します。
お茶タイム。お疲れ様です。

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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