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関ヶ原から長州藩/不気味な胎動

(2015年10月18日)

さてと解体屋のおじさんです。こんにちは。
んで、今日もiPadで書いてますので、ちゃちゃちゃと終わらせたいと思います。
さて、関ヶ原前夜なのですが、その前に書いておかないといけないことを書いときます。

関ヶ原の戦いは、徳川家康対石田三成となっておりますが、正確には西軍の総大将は石田三成ではありません。
石田三成は西軍の黒幕です。

じゃ、西軍の総大将は誰かというと、毛利輝元。
のちに長州藩になる毛利家です。

だから吉田松陰はこう述べてたのです。
「我々は毛利家の家臣だ。だから関ヶ原からやろう。君たちならどうする?」

主君が悪いとは、口が裂けても言ってはいけません。

ということは、、、

実は関ヶ原で負けたあと、毛利輝元は徳川家康に大阪城と豊臣秀頼を明け渡してます。
部下が反対しきって、大阪城で戦ってたら、,、?

そう、徳川家康は幕末には毛利家を存続させたことにより長州藩という怪物を生むことになり、そのイデオロギーは日本陸軍を生み、アメリカに解体されるまでその精神は受け継がれることになります。

つまり「上層部の意思を無視して、現場が勝手にやってよし」という組織。
関東軍がクーデター的に満州国を建国できたのも、そのイデオロギーが受け継がれていたわけです。
帝国議会は事後承認しか出来ませんでした。

歴史の皮肉というべきか、なんというべきか。
家康も毛利家は潰す予定だったのです。

ですが、東軍についた毛利の両川、吉川家が自分の領地を毛利家にと家康に必死に頼み、家康は渋々と認めました。
ですが、毛利の家臣は恨みに思っていた。

故司馬遼太郎氏も述べたとおり「家康、千慮の一失」だったのです。

あれ、関ヶ原前夜書こうと思っていたけど、毛利家の話になってしまったな(汗)
まあ、いいです。次に書きたいとおもいます。狸と狐の化かしあいとかあるんだが。

今日はこれにて終了。お茶にします。
お先に失礼します。

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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Author:moromizato12
トラック解体屋のおじさんが我田引水に歴史を語る、そんなブログです。
ティーダブログからお引越ししてきました。

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