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家康から見た、小牧・長久手の戦い。そして朝鮮出兵・・・

(2015年10月04日)

さてと解体屋のおじさんです、こんばんは。
今日はですね。小牧・長久手の戦いを家康から見た視点で書こうと思いますが。

というか、さっさと結論から言うと、この戦いで秀吉は家康だけには勝てない、って気づきました。以上。

・・・いや、それじゃあんまりだ?んー・・・資料が見つからなかったんですよ。

ああ、いちおうwikiに掲載されてた。これね。

「「家康は小幡城にいる」との報を受け翌朝の攻撃を決める。家康と信雄は夜間に小幡城を出て小牧山城に帰還した。秀吉は翌日この報を聞き、楽田に退いた。」

この時、軍隊がいたにもかかわらず朝には誰もいなかった、と。
昔の軍隊なので、馬がたくさんいます。人はもっとたくさんいます。

そして城を包囲しておりました。でも、いつのまにやら脱出されてた、と。

こんなとんでもない人物、前代未聞の城取名人な秀吉でも、どうやっても勝てません。

家康、その間に「紀州の雑賀衆・根来衆や四国の長宗我部元親、北陸の佐々成政、関東の北条氏政らが、信雄・家康らと結んで秀吉包囲網を形成し、秀吉陣営を圧迫した。」

wikiから抜粋です。

この状況で家康がねばりまくったら、秀吉、終わってしまいますがな。

というわけで家康に対しては、家康と同盟を結んでいた織田信雄と和解することで対応し、
さらに妹を嫁にやり、さらに自分の親まで人質に出すという手法をとることで、

家康を義弟にし、親まで人質にしたんだから和解しろ、と無茶を言うことで乗り切りました。

家康も苦笑するしかない手法ですな。でも、本当に他に方法ないなあ・・・一歩間違えたら家康が天下人になってたな・・・

たぶん、秀吉にとってはこの男だけには勝てない、ってことを痛感したはずです。いや、本当に危なかったし。
秀吉は家康問題だけは解決することがないまま、死去に至ります。

その間に朝鮮出兵が有り、日本はぼろ負けすることによって、信長、秀吉の拡大路線は修正をしてほしいと、兵士みんなが思い始めます。
そして徳川家康の台頭へと結びついていくわけですが。

というわけで、来週は関ヶ原前夜を書きたいと思います。
朝のコーヒータイム、お先に失礼します。

( ^^) _U~~

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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トラック解体屋のおじさんが我田引水に歴史を語る、そんなブログです。
ティーダブログからお引越ししてきました。

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