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松平竹千代の人質時代/徳川家康編2

(2015年08月30日)
さてと解体屋のおじさんです、こんにちは。
今日も徳川家康編を書こうと思いますが、wikiにだいたいは書いてあるので、そこを抜粋しながら補足していく形式を取ります。

では、まずはwiki。

「松平氏は弱小な一地方豪族(国人)であった。家康の祖父・松平清康の代で中興したが、清康が家臣に暗殺され、跡目を奪おうとした一門衆により清康の嫡男・広忠が命を狙われ、伊勢に逃れる事態により衰退[3]。帰国して松平家を相続した広忠は従属していた有力な守護大名・今川氏に誠意を示すため、子・竹千代を人質として差し出すこととした。しかし、竹千代が今川氏へ送られる途中、同盟者であった戸田康光に奪われ、今川氏と対立する戦国大名・織田氏へ送られ、その人質となってしまう[1]。竹千代はそのまま織田氏の元で数年を過ごした後、織田氏と今川氏の交渉の結果、織田信広との人質交換という形であらためて今川氏へ送られた。こうして竹千代は、さらに数年間、今川氏(今川義元)の元で人質として忍従の日々を過ごした[1]。この間、竹千代は、元服して名を次郎三郎元信(もとのぶ)と改め、正室・瀬名(築山殿)を娶り、さらに蔵人佐元康(もとやす)と名を改めた(「元」は今川義元からの偏諱)[1]。」

というわけで、織田家と今川家を人質として行ったり来たりしているわけですが、
その間に他の戦国大名にはない素養を徳川家康は身に着けることになります。

今川家の軍師にして臨済宗の僧侶、太原雪斎に師事したのです。
今川家は元守護大名で足利源氏の末裔なだけあり、東山文化に詳しく、書物なども大量に保管しておりました。
あふれるほどの書物と、名軍師と呼ばれる太原雪斎に勉学を教わることができる、その環境に身を置くことができたわけです。

織田信長、豊臣秀吉、または最初の戦国大名北条早雲はある意味天才型で、
北条早雲は孫子のページを一つ朗読させただけで「もうよい、わしはそんなことは知っておる」と述べています。

彼らは本能的にそのやり方を真似することが出来たのですが、家康は人質生活が長かったせいですかね。
太原雪斎からきちんと勉学を教わったのです。

それにより他の戦国大名にはない、江戸時代を完成させるものとしての素養を、この人質時代に身に着けることが出来ました。
でも、まだ身に着けただけです。発揮する時はずっと先の話になります。

そして若いころの織田信長との邂逅。信長は好奇心旺盛だから、直に家康を見に行って話したかもしれません。
信長は岐阜を取る前なので、天下伏武構想は有ったとしても、まだ話半分だったかもしれない。

ですが、その話半分も家康は聞いていたと思います。
そして家康は勉学の中でも特に歴史好きで、同じ産砂の地とされる源頼朝を尊敬し、吾妻橋を愛読しました。

「歴史好き」が後に天下人になった。家康の歴史好きは、天下人としても能力を発揮して・・・

えっとね。物凄い話ですが、たぶん黒船なかったら、沖縄も日本も現代でもまだ江戸時代なのは確定です。
江戸幕府を潰す要素が毛利の長州藩くらいしかない。

それくらい歴史を統御してのけた。覇王と司馬遼太郎氏に呼ばれるだけは有る。

ちなみに後の話ですが、おそらくはですが、徳川御三家のうちの水戸家は、将来天皇家と徳川家が対立した場合、水戸家のみは天皇家側につけ、と家康は遺言してたかもしれません。
日本の国学発祥の地は水戸徳川家です。水戸徳川家が日本版朱子学を作り「尊王攘夷」などの言葉を全国に広めた。

っとと、話がそれました。元に戻しますと、こうして人質時代を送った松平竹千代は元服して「蔵人佐元康」と名乗り今川義元に仕えますが、
たぶん、このまま今川家配下として人生を終えるんだろうな、と家康は諦めていたかもしれません。

ところがそこに桶狭間の戦いで信長が今川義元を倒します。
家康は激震します。

軍事力に圧倒的な差が有ったにもかかわらず、義元を打ち取るとは。
それでも当初は家康も今川家に復讐しましょう、と、持ちかけていたのです。

ですが、今川家の答えは「現状を維持せよ」という覇気のない言葉。家康は決断します。
これまでの三河兵と織田兵の諍いをのりこえ、信長と同盟することを。

当主を人質に取られた三河兵は、今川義元の元で常に最前線で戦っていたので、織田兵とは憎しみ合う中だったのです。
でも、それを乗り越えろ、との命令を出した。
織徳同盟の成立です。

この同盟は幕末の薩長同盟にも似ています。薩摩と長州も、幕府側に薩摩が、倒幕側に長州が付いていて憎しみ合っていた。でもそれを乗り越えて長州と共に幕府を倒すことを薩摩はちかった。

ちなみに、信長と同盟を結んだことで、家康は初めて人生が見えてきたかもしれません。目の前には今川領の駿河、遠江があり、良港があり、そこを切り取っていけばいい。

背後は織田家に任せておけばいい。というわけで東海最強の三河兵を率いて、今川領に勢力を伸ばしていきますが。

今日はこのあたりで良いかな。話を次回に回します。

朝のコーヒータイム、お疲れ様です。( ^^) _U~~

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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ティーダブログからお引越ししてきました。

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