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朝鮮出兵、その挫折と・・・

(2015年08月16日)

さてと解体屋のおじさんです、今晩は。
現在時刻は(3:13)です。早くに目が覚めてしまったのですね。

さて、今回は朝鮮出兵の話を述べたいと思いますが・・・

まずなんですが、天下統一(日本統一)を秀吉が成し遂げたということは、秀吉のもとには戦で鍛えられた最強の軍隊が残ったという事です。
なので「日本を統一したんで明日から平和だから、君たちクビ」と言ったら、秀吉でもクーデターで殺されます。

なので、海外に出兵せざるを得ない。そして日本の場合、海外に出兵するならまずどこか?と考えた場合、どうしても朝鮮半島になります。
福岡の対岸に存在し、距離的には近接してますので。

ちょいと話題がそれますが、家康が海外進出してないのに、なんでクーデターで殺されなかったのか?と言ったら、その時は朝鮮出兵で散々に負けたから、「これ以上大きくならなくていい」と兵士たちが思っていたからです。でもその場合は兵士たちの仕事を作らなくてはならないのですが、そっちの方は家康は成功しております。その話はラストの家康編で述べたいと思います。

さて、朝鮮半島に出兵なんですが・・・情報戦に日本は最初から負けております(^^;;

百済地域を現代では全羅道と呼んでいますが、地域差別が激しかったのですよ。
なので、地域差別を利用すれば朝鮮半島を支配下に置ける可能性も有ったのですが、・・・そもそも秀吉も官兵衛もその情報知らない(^^;;

朝鮮半島は対馬の宗家が支配下に置いていると思い込んでいる(^^;;

えっと、なんでこんな誤解を生んでたのか・・・官兵衛は軍師なんだから情報が大事って知ってるでしょうに・・・(^^;;

現代では選挙という戦争/内乱に代わるシステムが有ることは有るので、とりあえず投票したら地域差別はある程度抑えこむことが出来ます。
でも前近代では、地域差別を解消するには戦争しかない。

なので、百済地域(日本とも縁が深い地域です)を味方につければいいものを、その情報知らないままに秀吉は李氏朝鮮国王に手紙を送りましたが・・・

えーっと、その手紙は超上から目線です(^^;;

関白な秀吉なのに、朝鮮国王に敬称を閣下とかつけてるし(本来なら陛下とつける)、不宣(舌足らずは許せ)とか書いてるし。
というわけで対馬の宗家は国書を改ざんして朝鮮国王に渡しますが・・・

この問題、誰が悪いんだろうねえ・・・宗家が正直にこういう事情なんです、とか述べたら秀吉に皆殺しにされかねないし・・・(^^;;

実は聖徳太子の時代なんですが、小野妹子も国書の返答を紛失しております。
たぶん「汝を封じて日本国王と成す」と書かれてて、天皇陛下がその国書を受け取るわけにはいかなかったので紛失という事にしたのでしょう。

話がそれました。元に戻しますと、・・・誰が悪いのか思いつかない・・・(^^;;
秀吉が悪いと言ったら、それは確かにそうなんですよ。

ただねえ。異国に戦争をふっかけるなら、その国はいったいどういう国なのか?というところから、まずは入らないといけない。
きちんと草(忍びのモノ)を放って、下調べしてから動けば、あの時代でも朝鮮半島は傘下に治めきれたと思います。

秀吉と同様の拡大路線の信長なら、何か対処策を考えたかもしれない。
秀吉は行き当たりばったりで出兵したもんだから・・・耄碌してたのかも・・・

ちなみに家康は関東に封じられた後は、この出兵には参加しておりません。家康が出兵したら、秀吉傘下のものでも家康が更に巨大化しかねないので、それを恐れて関東から動くな、と命令をしたのでしょう。

秀吉の考えでは、朝鮮半島と明の一部を支配下に置いて、家康級の大大名を幾人も作る予定だったかと思われます。

んー・・・今日は上手く書けない。もうちょっと推敲を重ねた方が良いかもだなあ・・・
とりあえずは今日はここまで。お茶にします、お疲れ様です。

( ^^) _U~~

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
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