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天下取りの大マジック3/豊臣秀吉編

(2015年07月12日)

さてと解体屋のおじさんです。こんばんわ。
今日はですね、前回の話でどうしても倒せなかった徳川家康の話を行いたいと思いますが。

実は自分はいつもブログ書くときはノートパソコンを使っておりますが、あいにく今日はノートは修理に出しておりましてiPadで書いております。ネットで資料調べながらというのもiPadだとやりにくいので、ちゃちゃちゃと終わらせたいと思いますので、宜しくお願いします。

さて話を進めますと、徳川家康と同盟を結んで秀吉と戦おうとした織田信雄は、秀吉の「人たらし」によって、あっさり和睦してしまいました。
大切な三河兵を失った徳川家康は、はっきり言って腹立ちますよね。だから織田信雄の治める国に侵略とかもできなくはないのですが、それだと秀吉に口実を与えてしまう。口実を与えてリベンジという方法もないわけではないですが、秀吉の傘下は30数国にものぼっておりますので、大博打になる。なので家康は秀吉と織田信雄に書状を送りました。「此度の和平、まことにめでたい」と。

これね。勝手に秀吉と和睦した織田信雄にとっては後ろめたさが無くなる有りがたい言葉なんですよ。後ろめたさから、秀吉に家康と戦いましょうと秀吉に進言することは無くなる。家康は大人です。

ということで、織田信雄はひとまず安心になりましたが、秀吉の方は「家康問題」を片付けなくてはならない。
戦うという選択肢は秀吉にとっても大博打になりますので避けたいです。実は秀吉にとっても現在の位置は薄氷の上にあり、「秀吉が一番強い」と思っているから皆が従っているわけです。「実は家康の方が強い」とばれたら、秀吉はそこで終わりになります。
ちなみに秀吉と織田信雄の和睦のあと、家康は天下の情勢に無視をきめこんでます。

なので、秀吉は自分の妹を「嫁にやる」と送りました。家康は「もらえるものはもらっとけ」とうけいれました。さらに秀吉は「妹の見舞い」という名目で母親も送りました。秀吉と母親は仲がいいと評判だったのですが、その母親を送ったわけです。さすがにこれには秀吉配下のものも「天下人が目下のものに人質として親を送るなんて聞いたことがない」と反対されましたが、秀吉も「今まで行ったことがないなら、歴史上始めてわしが行ったと、そう書けば良い」と、いにかいしませんでした。

実はですね。秀吉と家康の対立は戦国大名の対立ではなくて、「どっちが天下人にふさわしいか?」の対立になっていたのです。だから家康は秀吉の妹も母親も殺せない。「家康殿の器も大したことないな」になってしまうので。こんなあほらしい手法を秀吉が使ってくるとは家康も思いもしなかった。家康は苦笑し決断しました。上京し義弟として秀吉に面会することを。屈辱にはなれている。

というわけで家康問題を片付けることに成功した秀吉は・・・あとは大きな問題はないな。名実ともに天下人となりました。
今日はここまでにして来週は再び土地問題「太閤検地」に入りたいと思います。

朝のコーヒータイム。お疲れ様です。
(^ ^)

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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ティーダブログからお引越ししてきました。

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