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天下取りの大マジック/豊臣秀吉編

(2015年06月14日)

さてとお久しぶりの投稿になります。解体屋のおじさんです。
先週までは資格試験の準備でブログを書くどころではなかったので、完全に後回しにしておりました。

今週からは時間が有るので、また歴史を書いていこうかな?と思っておりますが。
たしか、清州会議までは書いたので・・・・

では、柴田勝家と織田信孝、あとは子供ながら織田家を継承した三法師の話になります。

三法師は最初は岐阜城に留め置かれ、安土城の仮普請が出来次第移動という話でしたが、信孝は仮普請された安土城への移動を放っておいたわけですよ。

なので、清州会議違反と秀吉は信孝と戦い始め、信孝は降伏します。
信孝は生母(つまり信長の側室)と妹たちを人質として差し出します。

そして柴田勝家なのですが、彼は北陸で雪が降り積もっている時期なので織田信孝を応援することが出来ず。
羽柴秀吉のされるがままになってしまっています。

そして秀吉はまたまた和睦を無視して、柴田勝家配下の長浜城を攻撃。城主の柴田勝豊(勝家の甥)は降伏してしまいます。

この状況に完全に立腹した柴田勝家は二月末に軍を動かし、賤ヶ岳の戦いとなります。
そして織田信孝も同時に挙兵。

織田信孝/柴田勝家連合対羽柴秀吉となるわけですが・・・

さて、ここで、なんで全ての人が「秀吉に目がくらまされてる」と言っているのか、理由をお話ししましょう。

信孝が挙兵したので、信孝の生母「華屋院」を処刑しました。秀吉は。マジです。
つまり「信長の側室」ですら、彼の野望の前には切って捨てる事をやってのけたわけです。

なのに、キャラが明るすぎるせいか、誰もこのことで非難する人はいない。自分が秀吉を「大魔術師」と呼んでいる所以です。

信長は天才でしたが、秀吉は怪物、と呼んでもいいかもしれません。
でも怪物というわりには、秘儀「人たらし」という技も持っておりますので、やっぱり大魔術師かなあ。

賤ヶ岳の戦いは、書こうかな?とも思いましたが、結果は皆さんご存知の通りだから書くのは控えましょう。
信孝は自刃いたしました。

賤ヶ岳の戦いの戦いで勝利した秀吉は織田家家臣群のトップに立つと同時に、織田信雄の地位まで脅かし始めます。

なので・・・織田信雄は多分、当時としては最良の方法で秀吉に対抗することにしました。

徳川家康と同盟を結んだのです。

さてと、ブログはこの辺で失礼します。
朝のコーヒータイム、お疲れ様です。

( ^^) _U~~

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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トラック解体屋のおじさんが我田引水に歴史を語る、そんなブログです。
ティーダブログからお引越ししてきました。

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