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内地の土地問題/秀吉編/天王山の戦い

(2015年04月05日)

さてと解体屋のおじさんです、こんにちは。
スマホ編は先週でラストという事にしまして、今週は歴史。
豊臣秀吉と明智光秀の戦い、天王山の戦いへと話は進めますが。

実はなんですが、この時点では羽柴秀吉(豊臣秀吉)が天下をとれるとは、誰も考えてないんですよ。
この時点では羽柴秀吉は織田家家臣なんです。そして、その身分の状態のまま徳川家康との対決、小牧・長久手の戦いまで続くのです。

秀吉自身も、たぶんまだ天下取れるかどうかは見通せてないです。この明智光秀との戦いで倒れたらそこで終わりますから。

前回の話でも申し上げましたが、中国方の毛利は京都に進軍しておりません。
進軍したら秀吉の天下はなかったのですが、現在様子見を決めております。

秀吉は天王山の戦いをクリアできてはじめて毛利との暗黙の同盟は成立します。
というか、秀吉と毛利の同盟は天下を制するほどの勢力になりますが、それは後の話。

とりあえずの敵は明智光秀です。
歴史にifは禁物ですが、まあ、でも、もしif文を設定するなら、明智光秀が勝利したら光秀は源氏の血筋ですので征夷大将軍になって幕府を京都に開いていたかもしれません。そして柴田勝家などを滅ぼしていく、と。

秀吉の役割を光秀が演じるという事になりますが、その歴史だと江戸が大都会になるという事はなく、日本の首都になることもなかった事になります。ただ、まあ、家康が光秀と相容れることはないから、家康がそのまま天下とりになるかな。ただ、首都は三河に置いていたかもしれませんが。家康が関東に封じられるのは秀吉の命令ですので。

話題がそれました。元に戻しますと、天王山の戦いになりますが。

まずは秀吉方に援軍が来ます。wikiより抜粋。
「神戸信孝(織田信孝)・丹羽長秀は徳川家康の接待のために軍を離れており、本能寺の変の噂を伝え聞いた雑兵の多くは逃亡してしまったが、何とか数千の兵をまとめて合流し、最終的に秀吉軍は2万を超える大軍に膨れ上がった。」

この文章なんですが、実はこういう見方が出来るんですよ。たぶん当時(安土桃山時代)もこういう見方が多かったと思います。以下は自分の作文。
「四国征伐に向かう予定だった織田信孝は、本能寺の変の訃報を受けて兵をいくらか逃したが、ある程度の兵をまとめて家臣の秀吉と合流し、明智光秀との決戦に備えた。兵力は二万に膨れ上がった。」

そ、主(秀吉)と従(信孝)が逆転した文章になるんです。
だって、その後に秀吉の天下になるとは誰も思っていませんので、実子の信孝が継ぐと同時代の皆さんは思いこんでる訳です。
だから当時の見方は、信孝が主役で秀吉は脇役。

この状況から秀吉は天下取りマジックを開始するわけですが、そのまえに明智光秀倒さないとマジックも発動できませんので、
本腰を入れて天王山の戦いに取り組みます。

ちなみに明智光秀方なんですが、明智光秀は京都周辺の治安を守りながら臣下を安土城に派遣しておさえて、当時の織田家家臣の中で最大勢力だった柴田勝家に備えるために各勢力に同盟を呼びかけますが、縁戚関係だった細川藤孝・忠興父子は「喪に服す」といって拒否。孤立した勢力のまま秀吉と対峙します。

ちなみに細川藤孝・忠興父子は、先祖は応仁の乱の「管領」細川政元。
更に述べると元首相の細川護熙のご先祖様です。

細川家はこの時点で肥後五十万石の足場固めを行っていたという事です。松永弾正とは真逆に足場固めを見せている。すげえ。
司馬遼太郎氏もこの時点で秀吉方は吉兆を感じただろう、と書いております。

そして天王山の戦いに突入。光秀方は予想を超える速度で進軍する秀吉方に態勢を整えられないまま対決する形になります。
兵力差は、この時点で二倍から三倍とされております。

戦略的には秀吉の完勝ってことです。そして話の展開は戦術へ。

ここからはwikiから抜粋します。

「局地的な小競り合いはあったものの、翌13日(雨天だったと言われる)も対峙は続く。同日午後4時頃、天王山の山裾を横切って高山隊の横に陣取ろうと移動していた中川隊に斎藤隊の右側に布陣していた伊勢貞興隊が襲い掛かり( →「成句「天王山」」)、それに呼応して斎藤隊も高山隊に攻撃を開始し戦端が開かれた。斎藤・伊勢隊の猛攻を受けた中川・高山両隊は窮地に陥るが、秀吉本隊から堀秀政の手勢が後詰に到着したことで持ちこたえる。天王山麓に布陣していた黒田・秀長・神子田らの部隊は前方に展開し、中川・高山両隊の側面を突くべく天王山中腹を進撃してきた松田政近・並河易家両隊と交戦、一進一退の攻防が続いた。
戦局が大きく動いたのは一刻後、淀川(旧流域)沿いを北上した池田恒興・元助父子と加藤光泰率いる手勢が、密かに円明寺川を渡河して津田信春を奇襲。津田隊は三方から攻め立てられ、雑兵が逃げ出したこともあり混乱をきたす。また、池田隊に続くように丹羽隊・信孝隊も右翼から一斉に押し寄せ、光秀本隊の側面を突くような形となった。これを受けて苦戦していた中川・高山両隊も斎藤・伊勢両隊を押し返し、動揺が全軍に広がった明智軍はやがて総崩れとなった。御牧兼顕隊は「我討死の間に引き給え」と光秀に使者を送った後、勢いづく羽柴軍を前に壊滅。光秀は戦線後方の勝竜寺城に退却を余儀なくされるが、主力の斎藤隊が壊走し戦線離脱、黒田孝高らの隊と交戦していた松田政近、殿を引き受けた伊勢貞興らが乱戦の中で討死するなど甚大な打撃を受けた。
一方の羽柴軍も前線部隊の消耗が激しく、日没が迫ったこともあり追撃は散発的なものに留まったが、それ以上に明智軍では士気の低下が著しく、勝竜寺城が大軍を収容できない平城だったこともあって兵の脱走・離散が相次ぎ、その数は700余にまで減衰した。光秀は勝竜寺城を密かに脱出して居城坂本城を目指して落ち延びる途中、小栗栖の藪(京都市伏見区、現在は「明智藪」と呼ばれる)で土民の落ち武者狩りに遭い、そこで竹槍に刺されて絶命したとも、何とか逃れたものの力尽きて家臣の介錯により自刃したとも伝えられる( →「成句「三日天下」)。」

というわけで、信孝/秀吉連合が勝ちました。
これにより安土城/京都などの主要な都市/近畿地方を秀吉が押さえて、暗黙のうちに毛利とは同盟を結んだことになります。

ここから秀吉は天下取りマジックを発動します。

凄いですよ、マジで大マジックになります。

「信長は平服させる、秀吉は悦服させる」
「この時代にこんなとんでもない人物、本当に存在したのか?」

歴史家に物凄い書かれまくる史上最強の「人たらし」術の開始です。
「賢者ですらだまされる」レベルの人たらし術ですよ。だって信長ですら騙されてるレベルだもの(--;;;

ま、でも、その話は後にしたいと思います。今日はとりあえず終了、コーヒータイム。
お疲れ様です。

( ^^) _U~~。

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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トラック解体屋のおじさんが我田引水に歴史を語る、そんなブログです。
ティーダブログからお引越ししてきました。

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