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天下布武/織田信長編2


(2015年02月01日)

さてと解体屋のおじさんです、今晩は。
今日は早めに目覚めたので、課題のブログを書いておきたいと思います。
ちなみに現在時刻は03:13です。

さて、信長編ですが・・・この方に匹敵する歴史上の人物と言ったら、たぶん源頼朝のみだと思います。
あと、本能寺の変がなければ、現在の日本の国土まで形が変わっていたかもしれない。

というのも、以前に書きましたが、信長の部下には秀吉、同盟者は家康がいて、
他にも柴田勝家などの秀吉に滅ぼされた重臣たちもいるわけです。

対抗できるのは武田信玄と上杉謙信くらいですが、お二人とも信長よりも年上ですし。

信長は流通革命「楽市楽座」の政策によって関所を片っ端から廃止していき(当時の関所はみんな通行税を取っていた)、
当時としてはとても珍しい現代風に例えると「新自由主義経済政権」を目指していたふしがあります。

武田信玄などの戦国大名は「金山」なども保有していて、そこで経済面は賄っていたのですが、
信長は楽市楽座という政策で資金力を担保していた。しかも「租税を軽くして民力を養った」(勝海舟談)

えっとね。租税を軽くして政策で資金を確保した政権なんて、現代社会でもあまりありません。
この政策は秀吉にも受け継がれていて、秀吉は大乱で焼けた京都を全部修復できるくらいの資金力が有りました。

このあたりで、天下人三名に勝手に名付けたあだ名を発表したいと思います。

信長は天才、秀吉は大魔術師、家康は凡人が見習うべき人。

中国史からあだ名は取りませんでした。なぜなら、この三名は儒教のない日本でも宗教の牙を抜くことに成功したからです。
中国史からとれる人物はいない。

もともと中国の儒教自体が「怪力乱神を語らず」といって、神や仏の話題を避ける傾向が有りました。
なので中国では神の代わりに「皇帝」がその位置に立ちます。

日本の場合は天皇が存在しますが、天皇とは別に世俗の王「征夷大将軍」も存在するわけです。
鎌倉時代に権威と権力を分離させた日本の知恵は素直に素晴らしいと褒めて良いと思います。

というのも、権威と権力が一体だと権力ともども権威も倒されてしまいます。
でも分離していると、権力(征夷大将軍)のみを倒せばいい。天皇家はそのまま続く、と。

話がそれてしまいました。元に戻すと、

天文法華の乱、三河一向一揆、ほかにもいろいろありますが、浄土真宗なんかは国ごと真宗が支配している状態になったり。(加賀一向一揆)そういった宗教勢力を大人しくさせなくてはならない課題が、信長の思想「天下伏武」の前に立ちはだかったのです。

そのため、京都で寺社勢力で最大の規模を誇る、比叡山延暦寺の焼き討ちを実行に移します。

この効果は絶大で、次の時代の秀吉は一気に楽になり、
高野山にも「焼き討ちするぞ」と脅したら高野山は屈服したわけです。

信長のおかげで秀吉は手を汚さずに済んだ、とは言えるわけです。それでなのか、秀吉を嫌う人はあまりいない。
実はこの方はキャラが明るすぎて、みんな「目がくらまされてる」状態なんですけどね。

まあ、それは秀吉編で語りたいと思います。

そして土地問題を書くのを忘れておりましたので今書いておきますが、戦国大名北条早雲登場前後のときから、地方の国人(地頭、荘官)たちを守護大名とか守護代が下剋上によって、どんどん支配下に置いていく時代に突入しています。

真田幸村で有名な真田家は信濃国小県郡(現在の長野県東御市)の国人ですが、本来なら武田信玄とは何の関係もないわけです。ですが勢力を伸ばした信玄が真田家を支配下に置いた。

まだら状態の土地が戦国大名の侵略によって、どんどんその地域一つに統一されていってるわけです。
もう少しで内地の土地問題は終わります。

さてと、このあたりでタイピングをやめたいと思います。朝のコーヒータイム、お疲れ様です。
( ^^) _U~~

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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トラック解体屋のおじさんが我田引水に歴史を語る、そんなブログです。
ティーダブログからお引越ししてきました。

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