スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

伊豆討ち入り/北条早雲編2

(2015年01月18日)

さてと解体屋のおじさんです、こんばんは。
わりと早めに目が覚めましたので、課題のブログを書いておきます。

そして話なのですが、足利将軍家は前に語った事情(北朝を守るために京都に本拠地を置かざるを得なかった)のため、足利家の1人を関東に派遣。そして後に二つの系列に分かれました。その二つの系列の堀越公方と古川公方のうち、堀越公方は内紛をおこし、後継者に指名されていた二男の足利潤童子とその母親を、異母兄で長男の茶々丸が殺害するという暴挙にでたのです

足利茶々丸はようするに「簒奪」したということです。自分の出身地、沖縄県だと琉球王国の利勇を思い浮かべます。

簒奪ってのは前の君主が暴君でもないかぎり正当化しにくいのですよ。
そのため、北条早雲は伊豆の奪取を決意するのですが・・・

家臣が公方(将軍)に成り代わって国を簒奪するというのは、本当ならもっとまずい筈なのですが・・・

現時点での関東の土地は、名目だけの国衙領、守護領、荘園、地頭が納める土地など、まだら状態。

だれもかれもが「こんな状態はおかしい」と感じていたのかもしれません。
話がそれました。元に戻しますと、

北条早雲は湯治客に成りすましながら修善寺温泉で湯治をしつつ伊豆国の内情を探っておりました。
そして主家の今川家から300の兵を借りて、自分の兵二百の計五百の兵を動かし堀越御所を急襲、放火しました。

不意を突かれた足利茶々丸は自害しました。(守山へ逃亡後、自害という説もあり)

んで、これはwebページからの抜粋です。
「戦後、早雲は、御所そばに韮山城を築き居城とするとともに、伊豆国中に四公六民(当時は六公四民や七公三民が普通)という破格の税制を導入、さらには国中に流行していた病に対する手篤い看護を行うなど人心をつかみ、わずか一ヶ月ほどの短期間で伊豆を平定してしまった。」

こちらのページを参考にしました。
http://www.geocities.jp/hosinoufo3/izuuchiiri.html

更にちょいと付け足すと、実はのちの勝海舟は、織田氏とならんで北条氏も褒めているのですよ。

織田氏は楽市楽座などの流通革命をおこした信長がいるから当然なんですが、北条氏は江戸時代の徳川家支配の後の勝海舟ですら、後北条氏の政治を善政と述べたくらいだから、相当なレベルだったらしい。

ちなみに勝海舟は、織田家と後北条家ともう一つの家系を褒めていたけど、ちょいと忘れたな(^^;;

今日はこんな感じですかね。
朝のコーヒータイムにします。お疲れ様です。( ^^) _U~~
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

moromizato12

Author:moromizato12
トラック解体屋のおじさんが我田引水に歴史を語る、そんなブログです。
ティーダブログからお引越ししてきました。

最新コメント

月別アーカイブ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。