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内地の土地問題/室町時代編

(2014年11月09日)

さてと、こんにちは。解体屋のおじさんです。
今日は内地の土地問題書こうと思いますが、なんかのらないなあ。

室町時代の事を書こうと思いますが。

まず最初に述べておきますが、室町幕府の初代将軍の足利尊氏自身が鎌倉時代は有力御家人ではあるのですが、
宗家(源氏本家)ではないという事です。宗家は滅んでおります。

鎌倉時代は執権、北条氏の部下という位置づけであって将軍の家系ではない。有力候補ではありますが。

つまり、足利氏は守護や地頭の中では一番偉いけど、相対的に優位であって絶対的な差はないという事です。
作家、井沢元彦氏は「有力守護大名の議長」くらいと述べております。

みなさん静粛に、とかそういったまとめ役は出来ますが、「俺の命令は絶対だ」と言ったら反発されるわけです。

あと、鎌倉時代の「守護」なんですが、室町時代からは「守護大名」と呼ばれ始めます。

有力御家人に対して命令できる軍事指導者っていうのはその地方に対する影響力が大きく、荘園に対して影響力を着々と行使していくわけです。地頭分と荘園分を分けるようになります。

良いサイトを見つけましたので、そちらも参考にしてください。

http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/resume011.html

ちょいとむごい話ですか?そうです、むごい話です。<地頭と荘園

でもね。本当に問題なのは、警察の仕事ですら放棄してしまった朝廷に有ります。

だって荘園には検非違使(警察)入れませんから、野盗はやりたい放題です。有力御家人の守護や地頭しか警察の仕事はできない。
そんな抜け穴を作ってしまった朝廷こそが、そもそもの問題なのです。

歴史というのは良いことも有れば悪いことも有ります。両面の鏡です。
それでもより良い方向を模索するしかない訳です。

こういう事態を招いてしまった朝廷が悪いわけですが、それはやがて良い方向にも向かうわけですが。それは後の時代になります。
話がそれてしまいました。元に戻しますと。

下地中分という言葉で、荘園と地頭は土地を分けますが、地頭と守護は急速に力を強めていきます。
室町時代には有力御家人たちを束ねる守護大名と呼ばれていくわけですが。

少しややこしい話になりますが、確かに守護は影響力を強めていきますが、実はまだこの時点では「幕府の任命制」なのです。
つまり、京都に常駐してないと、任命取り消されかねない(^^;;

というわけで、支配下の国人も影響力を高めていきます。

国人とは何かといいますと、在地の領主のことをさします。wikiからコピペで転載すると、
「国人」という呼称は、「在地に居住した惣領を中心に独自の勢力を持つ武士」(wikiより抜粋)

そして戦国時代には、守護大名を追い出して戦国大名になったりとか(尾張の織田家など)
そのまま守護大名から戦国大名に変遷したりとか(甲斐の武田家)など。

戦国に突入すると、いったん土地問題はリセットされますが、まだ室町前半なのでそれは置いておきます。

現在のところ(室町時代前半)は荘園が有って地頭が有って国衙領があっての、土地がまだら状態。
そして着々と武士が荘園を地頭のモノにしていってる段階というわけです。

そんなところで足利義満が現れたら、武士はそりゃ驚きますよね。
天皇に刀をちらつかせるわ、空中楼閣を作るわ、源氏宗家(源氏長者)も足利氏のモノにするわ、

「室町殿は凄い」と京都に出向いた武士たちは噂し、うわさが噂を呼んでいく状態なわけです。日本全国で。

足利義満の時点で「室町殿」という呼称は公武合体政権の長という意味合いを持つわけですが、
次の世代からはまた、有力守護大名の議長くらいのレベルになるわけです。

というところで、そろそろ次の世代では一番目立つ存在「足利義教」を次回のべたいとおもいます。
というわけで、コーヒータイム。お疲れ様です。

PS:
自分の日本史ブログは井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズの影響を受けて書いております。
よろしかったら、本元もお読みくださいませ。

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トラック解体屋のおじさんが我田引水に歴史を語る、そんなブログです。
ティーダブログからお引越ししてきました。

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